まさゆめ通信

駄文保存用

蔵出し百合漫画「双子百合えっちアンソロジー」

先日双子ちゃんが出てくる異性愛ラノベを読んだときに久しぶりに純度100%の異性愛に触れた結果、思考回路がショート寸前になったので口直しのために手元に置いていたもの

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せっかくなので思ったことをつらつらと

まずこのアンソロで注意すべきは双子百合の「えっち」ではなく双子な「百合えっち」であることではないかと思う。

まずこのアンソロの特筆すべき点はさっそく表紙がおそらく二卵性双生児では?と思う程度には対照的な二人が描かれておりまずはビジュアルに訴えかける漫画という表現媒体のはずなのに双子とは?と哲学的な気分になる・・・ということではなく百合姫Wildrose の系譜にあたるあくまでも全年齢のちょっとえっちな百合アンソロの系譜でありタイトルにも「えっち」と明記されているものの実はそこまで直接的な表現はなされていない未成年でも問題なく入手できてしまうシリーズであることであろう。

わいも高校時代はこの系統の作品の恩恵を受けたので下手なことは言えないが未成年でも安心して入手できるというのは百合男子において高校生であるはずの花寺がえっちな入り漫画の代名詞として言及していることからも明らかな一方で一方でいまやストゼロを煽りながらこんな駄文を連ねるようになってしまった年齢の淑女(紳士)の皆様には若干物足りなさを感じたりあの悪名高き都条例を始めとして発禁処分に遭遇する危険性を高めるという意味でも良し悪しを感じる部分である。余談ではあるがくろば・U先生が「成人向け」百合アンソロで連載していた作品をまとめた作品集2冊のうちモザイクを大きくして無理やり全年齢向けにして誰にでも入手しやすくしたはずの「明日また君の家へ」が尼では発禁扱いになるなどして入手が困難になる一方で最初から成人向けとした「れんあいごっこ」は今でもふつうに成人向け書店に置いてあり一定以上の年齢であれば入手は容易であるというのは皮肉なものである。

 

閑話休題

 

さて、前述のラノベの感想でも触れたが双子を出すときは同質性を強調する場合と対照性を強調する場合があってアンソロという性質上どっちも出てくるのだがこのアンソロで特筆すべきは「百合に混ざる女」が多数出てくることだと思われる。

悲しいことにいわゆる「百合に混ざる男」がSNS上で定期的に炎上するようになって久しいが「百合に混ざる女」についてはほとんど話題になることはないのは「百合に混ざる女」は単なる三角関係「百合」に過ぎないので百合であるのには間違いないので問題に関係性に割って入るという意味ではもうちょっと話題になってもいい気がする。

 

さてさてアンソロなので各作品の感想でも

「とろけて、まざって、ひとつになって」

さっそく百合に混ざる女登場

自分たちは同じ存在でありたいと願って実際に見分けがつかないタイプの双子ちゃんの前に二人を見分けることが出来る娘(委員長なのがポイント高し)が登場しちゃう話

個人的に考える理想的な双子百合(とそれに混ざる女)の話に近いのだがページ数の少ないアンソロの宿命というべきか掘り下げが全くできておらずそもそも委員長は双子ちゃんに恋愛感情を抱いているわけではなさそうなのでここで終わってしまうのは惜しいという感情に行き着く作品である。

とはいえこのアンソロの方向性が理解できる作品であるため掴みは上々といったところ

 

「双子に愛されています」

次に登場したのはやはり双子百合「えっち」ではなく双子「百合えっち」でヒロインが双子ちゃんな作品

どっちか選んでほしいという割には同質性が強いし3人交際もあっさりと受け入れそうな感じでもっとやれ!以上の感想が思い浮かばない

 

「いましたしまい」

やうやく双子百合の「えっち」な作品が登場

しかもおねロリではなくロリ百合でコミックLOの単行本まで出してしまったという社偉大なる俊英白玉もち先生の作品である。

双子百合だと好きな人が同じ顔であることから鏡を見たらそこに好きな人がいる・・・というある種ナルシズムをはらむのではないかという展開も私を含めた多くの一卵性双生児ではない読者にとっては(もちろん現実に存在するであろう当事者たちにとっても)双子百合の醍醐味の一つではないかと思われるがそんな展開を白玉もち先生が調理するとこんな艶しくてロリロリしたことになるのかということが短い話ながらこれでもかとわかる作品。ちなみに作中の双子ちゃんの名字が「いました」であるとは言及されていないのにダブルどころではないミーニングに受け取ってしまうのは心が清らか(ダブルミーニング)な証拠だと信じたい。

 

「双眼」

眼球舐めは百合において妙な市民権を得ているような気がする。

それはさておき対照であろうとするということはそれ自体が同質であるという証拠だがザ・リッチとストゼロ(ロング缶)を開けた脳では深い考察ができない(前3作のインパクトが大きいともいう)

 

「Dun&Dee」

やはり双子百合「えっち」ではなく双子「百合えっち」でヒロインが双子ちゃんな作品だがそこに姉妹百合という味付けが加わってきた。双子というのはそれ自体が姉妹百合の性質を持つものであるが義理にはなり得ない(なおダメーポry)のだがこういうのもありかという気分にさせてくれる。

 

「Gemini」

なりすましに執着にと変化球がない分双子百合スターターセットという雰囲気が感じられる作品

しかし双子で百合であるのに「えっち」があっさりしているのは以前Girl’s Love(百合姫Wildroseが名前を変えただけの何か)に載ってた作品を読んだ時にも感じたことだがちと物足りなさを感じる。

 

「フタゴディファレンス

双子の同質性と対照性の両方に触れている作品であるがこの作品のキモはやはり日常的に行為に及んでいることが示唆されているということでありそれだけで100点満点中5000兆点あげてもいい。日常的に行為に及んでいるのは「とろけて、まざって、ひとつになって」でも示唆されているがこっちは女が混ざらない分より日常感があるのもよい。

 

「双子引力」

謎のテレパシーな引力で繋がってる双子ちゃんのお話。どっちかに彼女ができたら彼女さんは苦労しそうだなとよくわからないことを考えてみる。

それよりもタチとネコは消費カロリーが一緒とのことで何か閃きそうだが通報されては困るのでこれ以上は考えないでおく。

 

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というわけで読む前の評価から実は「百合に混ざる女」を期待して読んでいたのであんまりそんな感じがしなくて面喰ったところや「いつもの」百合姫アンソロだなと感じる部分はあるものの多様性と同一テーマによる統一感を感じられて双子百合っていいなと思えるアンソロでもあるのでもっと早くいろいろ呟くつぶやくべきったっだ気がする。